本居宣長『玉勝間』現代語訳と品詞分解!師の説になづまぬ学問の真意
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教科書で最も重視される章段「師の説になづまざること」(別名:師の説を改むること)の原文と現代語訳を対照して確認します。
【原文】
世の人の、師の説をまもるあまりに、師の誤りをも助け言ひつくろひ、またはひたぶるにその説を信じて、さらに違へじとするは、誠の道を知らざるがいたれるなり。すべて師の説といふとも、非なるをば非と知り、善なるをば善と知りて、わが思ひ得たる所を、つつみ隠さず言ひあらはして、師の説を改むるこそ、まことに師を尊ぶの道なれ。おのれ、五十余年のあひだ、学問の道に心を留めて、思ひ得たる所の筋、古今の書どもに考へあはするに、師の説のよからぬことどもの、多く見え出づるを、そのままには言ひ通しがたくて、これを正すこと少なからず。されど、これみな、師の教へを本として、思ひ得たる所なれば、師を軽んじ、わが説を尊ぶにはあらず。ただ学問の筋を明らけくせんとなり。
【現代語訳】
世間の人が、師匠の学説を守ろうとするあまり、師の誤りを取り繕って擁護したり、あるいは一途にその説を信じ込んで決して変えまいとするのは、真の学問の道を知らない極みである。およそ師匠の説であっても、誤っていることは誤っていると理解し、優れていることは優れていると認めて、自分が納得できた考えを包み隠さずに公表し、師の説を改訂することこそが、本当に師を敬う道である。私自身、50年余りの間、学問の道に専念し、自ら得た考えの筋道を昔から今に至る書物と照らし合わせてみると、師(賀茂真淵)の説で正しくない点がたくさん見つかるのだが、それをそのまま放置して語り伝えることはできず、訂正したことが少なくない。しかし、これらはすべて、師の教えを土台として考え得た成果であるから、師を軽視し、自分の説を偉そうに尊んでいるわけではない。ただひたすらに学問の道筋を明らかにしたいと願うからである。
宣長が主張しているのは、師匠に対する反逆や批判ではありません。「師の教えがあったからこそ、自分は新たな真理に到達できた」という絶対的な感謝と敬意を前提にしながらも、学問の目的は「師の顔色を伺うこと」ではなく「客観的な真理を明らかにすること」にあると喝破しているのです。