名優・船越英二の知られざる軌跡|熱中時代から最期の真相まで
名優・船越英二の知られざる軌跡|熱中時代から最期の真相までにまつわる役立つ知識を分かりやすく発信ます。
船越英二(本名:船越榮二郎)は1923年3月17日、東京府東京市四谷区(現在の東京都新宿区四谷)に生まれました。専修大学経済学部を卒業後、学徒出陣を経て復員。戦後の荒廃期であった1947年、大映の第1期ニューフェイスとして映画界へと足を踏み入れました。同期には歌舞伎界から転身した四代目中村雀右衛門(当時は大谷友右衛門)らが名を連ねており、大映が映画黄金期に向けて総力を挙げて育成したエリートの系譜に属していました。
デビュー初期は、端正な顔立ちと知的な風貌を活かした都会派の二枚目俳優としてキャリアを積みました。しかし、彼の真価が爆発したのは、1950年代後半から1960年代にかけて訪れた日本映画の爛熟期でした。名匠・市川崑監督や増村保造監督、川島雄三監督といった鬼才たちが、彼の奥底に潜む「狂気」「ペーソス」「人間の哀歓」を見出し、次々と主役に抜擢していったのです。
その頂点と言える映画代表作が、1959年公開の市川崑監督作品『野火』です。第二次世界大戦末期のフィリピン・レイテ島を舞台に、極限の飢餓と孤独の中で人間性を喪失していく田村一等兵役を演じるにあたり、船越英二は文字通り命を削る役作りに挑みました。当時の撮影手記や関係者の証言によると、彼は飢餓に苦しむ敗残兵のリアリティを追及するため、撮影前から過酷な減量と絶食同然の食事制限を敢行。撮影現場で栄養失調により突如昏倒し、撮影が一時中断する事態にまで発展しました。
完成した作品で見せた、骨と皮ばかりになりながら泥水を啜り、幻影を追う鬼気迫る演技は、国内外で絶賛を浴びました。同年のキネマ旬報主演男優賞、毎日映画コンクール男優主演賞を独占。美男子スターという既成の枠を完全に打ち破り、日本映画史に燦然と輝く「怪優・演技派」としての地位を決定づけた瞬間でした。