平安貴族の服装はなぜ豪華?十二単の重さと身分格差の真相を解剖
平安貴族の服装はなぜ豪華?十二単の重さと身分格差の真相を解剖の真相や最新動向に迫る! わかりやすい言葉でご紹介しています。
Q1:十二単を着たまま走ったり素早く動くことは可能でしたか?
A1:構造上、素早い歩行や走行は不可能です。総重量が15kg以上ある上に、裾や袖が床に長く引きずる仕立てのため、膝を床につけたまま滑るように移動する「膝行(しっこう)」や、ゆっくりとしたすり足が基本動作でした。緊急時の避難すら困難な構造であり、実用性を捨てた究極の身分誇示装束でした。
Q2:男性の狩衣と直衣はどうやって見分ければよいですか?
A2:最もわかりやすい識別ポイントは「袖の付き方」と「首元の形状」です。直衣は袖が完全に身頃と縫い合わされており、襟をしっかり留める格式高い仕立てです。一方、狩衣は肩の後ろ側で袖が身頃と部分的にしか繋がっておらず、隙間から下着が見える構造になっており、動きやすさを重視した丸首(アジロ)仕立てになっています。
Q3:平安時代の貴族の服はどこで保管され、誰が仕立てていたのですか?
A3:宮中の衣服製作は「縫殿寮(ぬいどのりょう)」や「内蔵寮(くらりょう)」といった専門官司が担当しました。私邸では仕立ての技術を持つ上級の家女房たちが裁断や縫製を行っていました。完成した装束は「衣桁(いこう)」と呼ばれるハンガーのような家具に掛けられるか、調度品の唐櫃(からびつ)に厳重に防虫香とともに保管されていました。
Q4:庶民が絹の服を着ることは絶対に許されなかったのですか?
A4:法律(律令や度重なる奢侈禁止令)によって厳格に禁じられていました。絹や染色織物は貴族階級と寺社勢力が独占する特権物資であり、庶民が身につけられるのは自給自足で作られた麻や葛(くず)の繊維による無染色の衣類に限定されていました。違反した場合は処罰の対象となったため、衣服の素材を見るだけで遠目からでも一瞬で身分が判別できました。