佐川清の波乱と巨額遺産の全貌|飛脚便から政界疑獄の真相まで
佐川清の波乱と巨額遺産の全貌|飛脚便から政界疑獄の真相までの要点や背景をコンパクトにまとめました。全体像を一目で把握できます。
佐川清は1922年(大正11年)3月16日、新潟県佐渡郡(現在の佐渡市)の農家に生まれました。幼少期に上京して丁稚奉公や炭鉱労働などを経験したのち、戦後は京都へ拠点を移します。建設業などを経て、彼が運送業の世界へ足を踏み入れたのは1957年(昭和32年)3月22日のことでした。
当時、佐川が用意できたのは「自転車1台とリヤカー」のみ。京都〜大阪間という幹線ルートにおいて、小口の荷物を当日中に届ける「飛脚便」の看板を掲げたのが、佐川急便の歴史の始まりです。当時の運送業界では、集荷から配達まで数日を要するのが当たり前だった時代に、佐川は自ら荷物を背負い、夜を徹して走ることで「即日配達」を実現させました。
事業拡大を決定づけたのは、徹底した現場第一主義と「高歩合給制度」の導入です。佐川は「他社の倍働き、他社の3倍稼がせる」というスローガンを掲げ、荷物を運んだ分だけドライバーに直接現金で還元するシステムを構築しました。高度経済成長の波に乗り、全国から腕力と体力に自信のある若者が集結。「走るセールスドライバー」たちが猛烈なスピードで荷物を運ぶ姿は、佐川急便の象徴となり、またたく間に全国ネットワークを張り巡らせる原動力となりました。