靖国神社とA級戦犯合祀の真相|なぜ分祀できないのか?歴史と対立の構図を徹底解説
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靖国神社にいわゆる「A級戦犯」が合祀されたのは、終戦から33年が経過した1978年(昭和53年)10月17日の秋季例大祭前夜のことでした。この事実は半年間伏せられ、翌1979年4月19日にマスコミ各社のスクープ報道によって初めて公に知られることとなります。
主導したのは、同年7月に靖国神社第6代宮司に就任した松平永芳(まつだいら ながよし)氏です。松平宮司は就任直後から東京裁判(極東国際軍事裁判)の正当性を否定する立場を鮮明にし、「東京裁判による死刑・獄中死は公務死(法務死)であり、国難に殉じた英霊として祀るべきである」という信念のもと、総代会の事前了承を得た上で合祀に踏み切りました。
手続きの実務面では、旧厚生省援護局(現・厚生労働省)から靖国神社に送付されていた戦没者名簿(祭神名票)に基づいています。サンフランシスコ平和条約発効後の国内法改正により、戦犯刑死者の遺族にも遺族年金や恩給が支給されるようになっていた行政上の文脈を神社側が合祀の根拠として援用した背景が存在します。