日本三大怨霊の真相と祟りの歴史|菅原道真・平将門・崇徳院を徹底解剖

日本三大怨霊の真相と祟りの歴史|菅原道真・平将門・崇徳院を徹底解剖にまつわる最新トピックを詳しく紐解きます。

日本三大怨霊と呼ばれる3人が史上最恐と畏怖された最大の理由は、彼らの死後に起きた国家的災厄の規模が、当時の朝廷を根底から揺るがすほど凄まじかった点にあります。

平安時代から中世にかけての日本では、非業の死を遂げた者の怨霊が疫病や飢饉、天災を引き起こすという御霊信仰の歴史が色濃く根付いていました。科学的解明が及ばない時代、突如として襲いかかる天変地異は、不当に失脚させられた怨霊の「怒りの顕現」として捉えられたのです。

とりわけ、菅原道真の失脚後に起きた内裏への落雷事故、平将門の討死後に起きた関東および京都での怪異、そして崇徳上皇の配流後に勃発した平氏政権の台頭と源平合戦の動乱は、時の為政者たちに「現世の復讐」を強く確信させました。権力者たちは自らの罪悪感と恐怖から逃れるため、破格の神号を贈り、国家規模での鎮魂を余儀なくされたのです。

怨霊名命日・没地主な歴史的事件・祟りとされた現象現在の主な鎮魂社・御祭神菅原道真903年(延喜3年)
大宰府(福岡)菅原道真 左遷 清涼殿落雷事件、政敵・藤原時平らの急死、醍醐天皇の崩御太宰府天満宮、北野天満宮
(天神信仰・学問の神)平将門940年(天慶3年)
下総国(茨城・千葉)晒し首の飛行伝説、平将門 首塚 大手町の土木工事事故、大蔵省関係者の不審死神田明神(三之宮御祭神)、築土神社、神田明神境外末社崇徳院(崇徳天皇)1164年(長寛2年)
讃岐国(香川)崇徳天皇 保元の乱での敗北、舌を噛み切り崇徳院 大魔縁となった伝説、安元の大火、平家滅亡白峯神宮(京都)、白峰宮(香川・崇徳天皇社)
山口 彩花

山口 彩花

写真家・フォトエディター

グルメと旅を愛するフリーライター。全国各地の隠れた魅力を独自の視点から紹介します。

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