港区虎ノ門「江戸見坂」の歴史と高低差!激坂の由来と現在を徹底解説
港区虎ノ門「江戸見坂」の歴史と高低差!激坂の由来と現在を徹底解説の基本情報から最新動向までを一挙に解説しました。
港区虎ノ門二丁目から虎ノ門四丁目へと抜ける江戸見坂。その名の起源は、江戸時代初期にまで遡ります。港区が設置した案内標識や古文書の記録によると、「江戸の市街はもとより、遠く品川の海(東京湾)まで一望できた」ことからこの名が付けられました。
当時の江戸は、現在のような高層建築群は一切存在せず、武蔵野台地の東端に位置するこの丘陵地は圧倒的な眺望を誇る天然の展望台でした。江戸幕府が開かれた直後、低地の埋め立てが進む以前の江戸前島や遠浅の海が眼下に広がり、諸大名の屋敷や町家が連なるパノラマは、往来する武士や町人たちを感嘆させたと伝えられています。
坂の周辺にはかつて大名屋敷が立ち並び、明治以降は大倉喜八郎の邸宅や高級住宅街へと変貌を遂げました。現在でこそ超高層ビル群によって海への視界は遮られているものの、坂上に立ったときに足元へと一気に落ち込む地形のダイナミズムは、かつて海を見晴るかすことができた地形の高低差を今に伝えています。