鹿鳴館のシャンデリアはどこへ?護国寺に眠る遺構とバカラ説の真相

鹿鳴館のシャンデリアはどこへ?護国寺に眠る遺構とバカラ説の真相の真相について、分かりやすい解説を詳しくお届けします。

1940年、戦時体制の足音が迫るなかで断行された鹿鳴館解体の歴史と経緯を辿ると、豪奢な洋館が直面した残酷な幕引きが浮かび上がります。取り壊された資材の多くは売却され、あるいは戦災の炎に呑まれて灰燼に帰しました。そうした過酷な運命をくぐり抜け、鹿鳴館シャンデリアの現在地として静かに時を刻んでいるのが、東京都文京区大塚に鎮座する真言宗豊山派大本山「護国寺」です。

なぜ、明治欧化政策の頂点であった洋風照明が、徳川綱吉ゆかりの格式高い祈りの場にあるのか。鹿鳴館シャンデリア移設先として護国寺が選ばれた背景には、解体当時の華族会館関係者と護国寺の深いつながりがありました。鹿鳴館は1890年に宮内省へ払い下げられた後、旧大名や公家たちの社交機関である「華族会館」として使われていました。解体が決まった際、歴史的遺物の散逸を惜しんだ関係者の手により、護国寺の本坊客殿へと運び込まれたのです。

現在、鹿鳴館シャンデリア護国寺の空間に足を踏み入れると、息をのむ光景が広がります。伝統的な日本建築の書院造、格天井(ごうてんじょう)の直下から、無数のカットガラスを従えた真鍮製のアームが優美な曲線を描いて吊り下げられています。純和風の静謐な畳敷きの大広間と、明治の西洋化を極めた洋風シャンデリア。相反する美意識が奇跡的な調和を見せるその姿は、近代日本が辿った和洋折衷の精神史そのものを象徴しています。

森 瞳

森 瞳

ヘルス&ウェルネスアドバイザー

暮らしを豊かにする便利アイテムや時短アイデアを中心に、実用的な情報をお届けします。

Share this article
Twitter Facebook Pinterest