鉄腕アトムの歌に隠された真実|谷川俊太郎の詞と発車メロディの謎
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日本のテレビアニメ第1号となった『鉄腕アトム』ですが、放送開始当初からあの歌が流れていたわけではありません。1963年1月1日の第1話放送時、オープニングを飾っていたのは歌のないインストゥルメンタル楽曲でした。しかし、視聴者の子どもたちが画面の前で一緒に歌えるアンセムを求めた原作者・手塚治虫は、本格的な主題歌の制作を決断します。
そこで手塚が白羽の矢を立てたのが、当時すでに現代詩の旗手として文壇で異彩を放っていた詩人の谷川俊太郎氏でした。アニメーションという未知のサブカルチャーに対して、純文学の第一線で活躍する詩人を起用することは、当時の常識からすれば極めて異例の抜擢でした。当時の関係者手記によると、手塚は「アトムはただのロボット兵器ではなく、人間と同じ心を持つ少年。凡庸な児童向けのお題目ではなく、言葉の深みを持った本物の詩人に書いてほしい」と熱烈に直談判したと記録されています。
依頼を受けた谷川氏は、アニメの主題歌という未知の領域に臆することなく、わずか数日で原稿を書き上げました。生前、谷川氏は自著や回想インタビューの中で「子ども向けだからといって手加減するつもりは全くなかった。機械であるアトムの疾走感と、宇宙への広がりを言葉の響きでどう表現できるか、純粋に日本語の音の連なりを意識した」と述懐しています。
一方、メロディの創出を託された作曲家の高井達雄氏には、壮絶な修羅場が待っていました。締め切りが極限まで迫る中、手塚治虫からの「もっと勢いと跳躍感がほしい」という容赦ないリクエストに対し、徹夜のピアノの前で絞り出されたのが、あの印象的なシンコペーションを効かせた行進曲のフレーズでした。完成した楽曲を吹き込んだのは、当時の少年少女合唱界の最高峰であった上高田少年合唱団です。彼らの混じり気のない澄んだボーカルが合わさることで、楽曲は単なる劇伴を超え、戦後復興を遂げる日本社会全体のファンファーレへと昇華していきました。