あずき雑煮はなぜ甘い?ぜんざいとの決定的な違いと山陰に伝わる衝撃の真相

あずき雑煮はなぜ甘い?ぜんざいとの決定的な違いと山陰に伝わる衝撃の真相についての真相をご紹介します。

なぜ、これほどまでに甘い小豆の雑煮が山陰地方に深く根を下ろしたのでしょうか。その背景を紐解くと、日本神話の時代から江戸時代の海運交易に至る、二重の歴史的要因が浮かび上がってきます。

出雲大社「神在祭」とぜんざい発祥の伝説

第一の要因は、島根県出雲地方が誇る信仰の歴史です。全国の八百万の神々が出雲に集う旧暦10月の「神在祭(かみありさい)」において、参拝者に振る舞われたのが、小豆汁に餅を入れた「神在餅(じんざいもち)」でした。「じんざい」という出雲弁の訛りが京都へ伝わる過程で「ぜんざい」へと変化したとする説は、室町時代の百科事典的文献『運歩色葉集』などにも記録が残るほど由緒あるものです。

古代より小豆の放つ鮮やかな赤色は「邪気を祓い、魔を遠ざける神聖な色」と信じられてきました。新年の無病息災と五穀豊穣を祈る元旦の朝に、厄除けの象徴である小豆と神の依り代である丸餅を一緒にいただく行為は、民俗信仰において極めて理にかなった儀式だったのです。

北前船の寄港地がもたらした「砂糖の贅沢」

第二の要因は、江戸時代の経済と物流です。鳥取藩や松江藩を擁する山陰の日本海沿岸は、大坂と蝦夷地(北海道)を結ぶ西廻り航路「北前船」の重要拠点でした。当時、砂糖は薬用として扱われるほど高価な貴重品でしたが、北前船の寄港地であった港町周辺には、上方や西国からもたらされた砂糖が比較的流通しやすい環境が整っていました。

松江藩の7代藩主・松平不昧公(治郷)が茶の湯文化を大成させ、和菓子文化を開花させたことも地域の砂糖受容を後押ししました。年に一度の元旦という最高峰のハレの日に、貴重な砂糖を惜しみなく使って小豆を甘く煮ることは、「家運の隆盛を示し、家族の幸福を願う最上級のもてなし」だったのです。貧しかったから代用したのではなく、むしろ贅沢を尽くした結果として甘い雑煮が定着したという事実こそ、知られざる歴史の真相と言えます。

渡辺 美咲

渡辺 美咲

ガジェット&アプライアンスライター

心身ともに健康で持続可能なライフスタイルをテーマに、最新のウェルネストレンドを発信中。

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