5万回斬られた男・福本清三の真実|死因と世界が絶賛した職人魂
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福本清三(本名・橋本清三)さんは1943年、兵庫県城崎郡香住町(現在の香美町)に生まれました。実家は貧しく、6人きょうだいの三男として育った彼は、中学を卒業したばかりの15歳(1958年)で親類のツテを頼りに東映京都撮影所の大部屋へと入社します。
当時の日本映画界は黄金期を迎え、京都の撮影所には何百人もの大部屋俳優がひしめき合っていました。若い頃の福本さんは、整った顔立ちのスター俳優たちと自らを比べ、「自分には容姿もなければ、立て板に水のようなセリフ回しもできない」と強い劣等感を抱えていたと自著で率直に振り返っています。役名すらなく、台本には「町人A」「斬られる浪人」としか書かれない日々。カメラのピントが合うことのない背景の一部として扱われる屈辱を味わうなかで、彼が見出した活路が「斬られ役の徹底的な探求」でした。
「主役の刀をどう受け止めれば、相手がより強く、かっこよく見えるか」。その一点だけに全神経を集中させた福本さんは、カメラのフレームから消える瞬間に激しく身体を反らせて後頭部から地面に叩きつけられる、通称「エビ反りダイブ」と呼ばれる独自のリアクションを完成させます。危険と隣り合わせの現場で負傷を重ねながらも、愚直に斬られ続けた回数はキャリアを通じて5万回以上に達し、いつしか映画ファンやスタッフから「5万回斬られた男」と呼ばれる生ける伝説へとのし上がっていったのです。