甲斐の国とは現在のどこ?信玄の拠点から山梨県誕生の真相まで徹底解剖
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なぜこの盆地は「かい」と呼ばれるようになったのでしょうか。「甲斐」という表記自体は律令期に好字二字令(地名を縁起の良い漢字二文字で統一する方針)によって定着したものですが、その語源には諸説存在し、当時の地形的・軍事的な特徴を如実に表しています。
言語学者や歴史地理学者の間で最も有力とされているのが、「山と山の間」「山の狭間」を意味する「峡(かい)」が転じたという説です。四方を険しい山並みに囲まれ、深い谷を抜けて盆地に至る景観そのものが「かひ(峡)」と呼ばれ、それが国名に昇華したと考えられています。
もう一つの有力説は、道や山が交差する結節点を意味する「交ひ(かひ)」を語源とする説です。武蔵(東京・埼玉)、相模(神奈川)、駿河(静岡)、信濃(長野)の四方に抜ける峠道が集中する地政学的要衝であったことから、「交通が交わる場所」として名付けられたという解釈です。さらに古事記の景行天皇条には、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の東征伝説において「甲斐の白雲を見返りたまふ」といった叙述が見られ、古代朝廷にとって甲斐は東国支配の極めて重要な戦略拠点と認識されていました。