矢先稲荷神社の100枚天井画と御朱印の謎|浅草三十三間堂の歴史を解く
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矢先稲荷神社(やさきいなりじんじゃ)の社号には、江戸初期の都市計画と武芸振興に直結する明確な史実が刻まれています。創建は寛永19年(1642年)10月、江戸幕府第3代将軍・徳川家光が京都の三十三間堂に倣い、この浅草の地に長さ約120メートルに及ぶ「浅草三十三間堂」を建立したことに始まります。
当時、武士たちが弓の技を競い合う「通し矢(堂射)」が盛んに行われており、射放たれた矢が一昼夜をかけて堂の端から端へと飛び交いました。この射術鍛錬場において、矢が飛んでいく北側の終点、すなわち「矢の先」にあたる場所に、武技の安全と弓術の成就を祈願して勧請されたのが矢先稲荷神社の起源です。
主祭神には、食物や農業、産業の繁栄を司る倉稲魂命(うかのみたまのみこと)を祀っています。その後、明暦の大火(1657年)や元禄の大火によって三十三間堂自体は深川へと移転を余儀なくされましたが、神社は当地である松が谷(旧・浅草新寺町)に残り、地域の鎮守として、そして「的射(ものごとを的中させる)」にあやかる勝運・大願成就の社として信仰を集め続けています。