アインシュタインのノーベル賞はなぜ相対論で見送り?受賞理由と賞金の罠

アインシュタインのノーベル賞はなぜ相対論で見送り?受賞理由と賞金の罠について押さえておきたい 注意点を厳選して解説いたします。

アインシュタインは1910年から1922年にかけて、マックス・プランクをはじめとする錚々たる碩学からノーベル物理学賞に通算60回以上も推薦されていました。にもかかわらず、なぜ選考委員会は相対性理論を拒絶し続けたのでしょうか。歴史の記録を精査すると、3つの決定的な壁が浮かび上がってきます。

1. 「具体的発見」を重んじる遺言の教条的解釈

アルフレッド・ノーベルの遺言には「前年に人類へ最大の貢献をもたらした発見・発明」に対して賞を贈ると記されていました。当時のスウェーデン王立科学アカデミーを牛耳っていたのは、精密な測定や器具の発明を至高とする実験物理学者たちです。彼らにとって、頭の中の思考実験と高度な数学的推論から導き出された相対性理論は「証明されていない推測にすぎない哲学的な空論」に見えていました。

2. 選考委員カルル・ヴィルヘルム・オセーンの政治的妥協

1920年代初頭の選考委員会において、相対論に対する最大の抵抗勢力となったのが、眼科学の功績で1911年にノーベル生理学・医学賞を受賞し、物理学委員も兼ねていたアルフレッド・グルストランドでした。グルストランドは独自の誤った計算をもとに「一般相対性理論の数学には誤りがある」と強硬に主張し、理論を全面否定したのです。

毎年紛糾を極め、1921年にはついに「該当者なし」として受賞持ち越し(保留)という異例の事態に追い込まれました。翌1922年、膠着状態を打破したのが理論物理学者のカルル・ヴィルヘルム・オセーンでした。オセーンは選考委員に対し、次のようなウルトラCの妥協案を提示します。

「物議を醸す相対性理論ではなく、すでにロバート・ミリカンらの実験によって疑いようもなく証明されていた『光電効果の法則』という純粋な物理法則の発見に授賞理由を限定する」。この政治的決着によって、ノーベル財団は面目を保ち、アインシュタインは1年遅れで1921年分のノーベル賞を手にすることになりました。

3. ドイツ国内の反ユダヤ主義と「反アインシュタイン運動」の影

科学の純粋な議論の外側でも、暗い影が差し込んでいました。第一次世界大戦の敗戦で混乱を極めていたドイツでは、ナショナリズムと反ユダヤ主義が急速に台頭。フィリップ・レーナルトら保守的な物理学者たちは、ユダヤ人であるアインシュタインの成功を激しく憎悪し、「反アインシュタイン連盟」を結成して街頭で批判集会を開くまでになっていました。選考委員会は、こうした政治的騒乱に巻き込まれることを極度に恐れていたのです。

中島 亮太

中島 亮太

写真家・フォトエディター

シンプルで洗練された住まいづくりとインテリアコーディネートのアイデアを提案しています。

Share this article
Twitter Facebook Pinterest