東京・山谷の現在と治安の真相!ドヤ街から福祉と観光の街へ激変した理由
東京・山谷の現在と治安の真相!ドヤ街から福祉と観光の街へ激変した理由に関する深掘り解説を丁寧に解説いたします。
山谷のドヤ街としての歴史と変遷は、江戸時代の日光街道沿いの木賃宿街に端を発します。戦後復興期から高度経済成長期にかけて、日本全国から仕事を求める単身男性が殺到。「ドヤ(宿の逆さ言葉)」と呼ばれる簡易宿泊所が密集し、毎朝早くから仕事を求める労働者と手配師が路上にあふれる一大労働市場が形成されました。
漫画『あしたのジョー』の舞台としても有名な山谷の泪橋(なみだばし)交差点は、かつて罪人が処刑場へと向かう際に親族と涙を流して別れた思案橋が名前の由来とされていますが、労働者たちにとっては「ここを渡って人生をやり直す」象徴的な場所でもありました。
1990年代のバブル崩壊を契機に、建設需要の低迷と機械化が進み、山谷の日雇い労働者が減少した理由が急速に強まります。仕事にあぶれた労働者たちは路上生活へと追い込まれましたが、東京都や区による生活保護の適用拡大、福祉住居への斡旋が進んだ結果、2000年代以降は「福祉の街」としての性格を色濃くしていきました。現在、山谷に暮らす元労働者の大半は生活保護を受給する70代以上の単身高齢者となっており、街の医療・介護インフラが生活を支えています。