栗山英樹はなぜ創価大へ進まなかったのか?創価高校時代と学芸大進学の真相
栗山英樹はなぜ創価大へ進まなかったのか?創価高校時代と学芸大進学の真相について押さえておきたい ポイントを分かりやすい構成で解説いたします。
東京都小平市にある創価高校に入学した栗山英樹氏の高校時代は、まさに泥にまみれて白球を追う日々でした。中学校時代から高い野球センスを誇っていた栗山氏は、当時から全国的な強豪校として名を馳せていた東海大相模高校への進学も視野に入っていたとされています。しかし、両親からの強い勧めと創価高校関係者からの熱心な誘いを受け、最終的に創価高校への進学を決断しました。
当時の創価高校野球部は、創部から日が浅いながらも着実に実力を蓄えていた新興勢力でした。栗山氏は投手(エース)兼野手、さらには主将としてチームの大黒柱を担います。当時の練習環境は厳格を極め、礼儀作法や人間形成を何よりも重んじる指導方針のもとで、栗山少年は技術のみならずキャプテンシーを徹底的に叩き込まれました。
高校球児としての集大成となった1979年(昭和54年)の第61回全国高等学校野球選手権西東京大会において、創価高校は快進撃を見せます。栗山主将の気迫あふれる投球と勝負強い打撃によって勝ち上がり、堂々の西東京大会ベスト4(準決勝進出)を記録しました。あと一歩で甲子園の切符を掴むところまで迫りながらも惜敗し、聖地の土を踏む夢は潰えましたが、このとき味わった悔しさと仲間との絆が、後の野球人生における強靭な精神的支柱となりました。