東久邇信彦氏の激動生涯と家系図|昭和天皇の初孫が遺した皇籍復帰の真相
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信彦王としての身位は長くは続きませんでした。終戦から約2年後の1947年(昭和22年)10月14日、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の指令に基づく皇室典範の改正により、いわゆる「11宮家51名」の皇族が一斉に皇族の身分を離脱。信彦氏もわずか2歳半にして「一般国民・東久邇信彦」としての生活をスタートさせることになります。
学習院初等科・中等科・高等科を経て進学先に選んだのは、皇族関係者が多く通う学習院大学ではなく慶應義塾大学経済学部でした。大学卒業後の1968年、日本屈指の総合商社である三井物産へ入社。自らの血筋に甘えることなく、ひとりのビジネスパーソンとして実業界に身を投じます。
商社マン時代の信彦氏は、米国ロサンゼルス支店への長期駐在を経験するなど、国際派のビジネスマンとして第一線で手腕を発揮しました。退職後は民間企業の顧問を務める傍ら、日本ライフル射撃協会会長や日本・イスラエル親善協会会長などの公職を歴任。旧皇族としての品格を保ちつつ、スポーツ振興や国際親善の現場で誠実なリーダーシップを発揮し続けた経歴を持ちます。