新左翼とは何か?旧左翼との違いから過激派の歴史と現在の実態まで総力解説

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大衆的な運動が終息するにつれて、新左翼の各党派は自らの正当性をめぐって激しく対立し、凄惨な「内ゲバ(党派間殺人・暴力抗争)」と狂気のテロルへと沈んでいきました。ここで新左翼の代表的な派閥を押さえておきましょう。

【中核派(革命的共産主義者同盟全国委員会)】
本多延嘉らを最高指導者とし、「反帝国主義・反スターリン主義」を掲げた最大武闘派組織。成田空港建設に反対する「三里塚闘争」を主導し、火炎瓶や迫撃弾を用いた数々のゲリラ事件を起こしました。革マル派との抗争では多くの死傷者を出しています。

【革マル派(日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派)】
黒田寛一を理論的指導者とし、組織防衛と党建設を最優先にした派閥。街頭での派手な武装闘争よりも、JR総連などの労働組合や名門大学自治会への潜入・浸透活動(いわゆる「権力潜入」)を重視する特異な戦略を採りました。

【社青同解放派】
日本社会党の青年組織から分派したセクト。後に中核派や内部の分派との激しい内ゲバにより幹部が多数殺害され、組織は複数に分裂しました。

【赤軍派から生まれた過激組織】
武装蜂起を掲げてブントから分裂した「赤軍派」は、さらに2つの最悪な結末を生み出しました。

1つは、重信房子らがレバノンへ渡って結成した日本赤軍です。テルアビブ空港乱射事件やクアラルンプール事件など国際テロを次々に引き起こし、世界中を震撼させました。

もう1つが、国内に残った赤軍派と日本共産党(革命左派)が合流した連合赤軍です。1972年に発覚した連合赤軍事件の真相は、日本社会に計り知れないトラウマを与えました。群馬県の山岳アジトに潜伏した幹部らは、「共産主義化」と称する凄惨な私刑(リンチ)により、仲間12人を次々と拷問死させました。逃亡したメンバーが軽井沢で起こした「あさま山荘事件」のテレビ生中継とともに暴かれた狂気の全貌は、国民の新左翼に対する期待を完全に粉砕し、運動の終焉を決定づけたのです。

当時の裁判記録や元メンバーの手記には、「些細な日常の癖をブルジョア的と決めつけられ、殴打され縛られたまま氷点下の屋外に放置された」という生々しい証言が残されています。閉鎖空間における相互監視と自己批判の強要が、いかに人間の理性を奪うかを物語る痛烈な記録です。

井上 凛

井上 凛

シニアコンテンツプロデューサー

心身ともに健康で持続可能なライフスタイルをテーマに、最新のウェルネストレンドを発信中。

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