トルコの首都はどこ?イスタンブールではなくアンカラである歴史の真相
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なぜトルコは、長い歴史を誇るイスタンブールを手放し、当時まだ乾燥した地方都市に過ぎなかったアンカラを新たな中枢に据えたのでしょうか。その根底には、国家存亡の危機と近代化に向けた冷徹な地政学的計算がありました。トルコ首都歴史と経緯を紐解くと、1920年代初頭の壮絶な独立戦争に行き着きます。
第一次世界大戦でオスマン帝国が敗北した際、イスタンブールはイギリスやフランスを中心とする連合国軍によって容易に軍事占領されました。海峡に面したイスタンブールは、近代海軍の艦砲射撃や海上封鎖に極めて脆弱であり、海からの脅威に対して無防備であることが露呈したのです。防衛の指揮を執った建国の父ムスタファ・ケマル・アタテュルクは、敵の侵攻部隊が容易に到達できない強固な防衛拠点として、アナトリア内陸部に位置するアンカラに革命指導の本部を設置しました。
もう一つの決定的な要因は、腐敗と形骸化が進んでいたオスマン帝国のスルタン・カリフ制からの「政治的・心理的な決別」です。西欧近代法に基づく世俗的な共和国を建設するためには、旧帝国の宗教的権威や特権階級の利害関係が染み付いたイスタンブールを離れ、まっさらな新天地に近代的官僚機構を築く必要がありました。1923年10月13日、正式にアンカラを首都とする法案が可決され、そのわずか16日後の10月29日にトルコ共和国の成立が宣言されました。このトルコ首都移転の理由は、まさに防衛上の安全保障と国家体制の大改革という二重の必然性に基づいていたのです。