一富士二鷹三茄子の意味とは?四以降の続きと徳川家康の由来を徹底解明
一富士二鷹三茄子の意味とは?四以降の続きと徳川家康の由来を徹底解明とはどんな影響があるのか? 専門的な分析を簡潔に解説します。
一富士二鷹三茄子の語源を追究する上で、絶対に外せない人物が江戸幕府を開いた徳川家康です。文献や歴史研究において最も有力視されているのが、家康の愛した「駿河国(現在の静岡県中部)」の名物・名所を並べたという説です。
駿府城で大御所として晩年を過ごした家康は、駿河の地を誰よりも愛していました。駿河国において最も高く美しいのが「富士山」、家康自身が生涯の趣味として熱狂したのが富士山麓や愛鷹山(あしたかやま)で行う「鷹狩り」、そして駿河特産の「折戸茄子(おりどなす)」です。江戸時代の随筆『甲子夜話』や『嬉遊笑覧』などの古記録にも、駿河の名物を誇る言葉として庶民の間で語り継がれた経緯が記されています。
当時の江戸における初物茄子の価値は凄まじく、初夏に温室栽培の技術で早出しされた駿河の茄子は、1個につき「一両(現在の貨幣価値で約8万〜10万円相当)」という超高値で取引されていました。「値段が高くて庶民の手が出ない高級品」を皮肉と憧れを込めて並べたという説も、江戸っ子のユーモアを象徴しています。
もう一つの重要な発祥説が、現在の東京都文京区本駒込に鎮座する駒込富士神社にまつわるものです。江戸時代、駒込富士神社の周辺には鷹匠屋敷(将軍の鷹狩りを司る役職の屋敷)があり、近隣の駒込茄子が名産品として知られていました。当時の川柳に「駒込は一富士二鷹三茄子」と詠まれたことから、富士講(富士山信仰の民間宗教組織)の隆盛とともに江戸全域へ急速に拡散したと記録されています。