少年の日の思い出なぜ蝶を潰した?エーミール冷酷の真相と結末解説
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インターネット上の掲示板やSNS、知恵袋などでは、長年にわたり「エーミール クズ説」が定期的に議論の的となります。「主人公は勇気を出して謝ったのに、許さずに煽り散らかしたエーミールの方が人間として冷酷で性格が悪いのではないか」という意見です。
火種となっているのは、謝罪に訪れた主人公に対してエーミールが発した決定的な名言です。
「そうか、そうか、つまり君はそんなやつなんだな」
ポケットに手を突っ込み、怒鳴りつけることも殴りかかることもせず、ただ冷ややかな軽蔑の眼差しを向けて主人公を突き放したこの態度。なぜ読者はエーミールに激しい反感を抱くのでしょうか。
法的な観点や客観的な正義の基準で見れば、エーミールは100パーセントの被害者です。丹精込めて育て上げた世界に一つしかない貴重な標本を、不法侵入したライバルに無残に破壊されたのですから、怒り狂っても当然の権利があります。
それにもかかわらずエーミールが悪辣に見えてしまう理由は、彼の対応が「怒り」ではなく「侮蔑と嘲笑」だったからです。エーミールは感情的な反撃を一切放棄し、道徳的・精神的な絶対的優位に立ち続けました。「君のコレクションをもらったって、僕の壊れた蝶の代わりになりっこない」「見たまえ、君のせいでこんなになってしまった」と静かに事実を突きつけ、主人公が差し出した全財産(コレクション)すら「結構だよ」と一蹴しました。
この態度は、主人公が謝罪によって得ようとしていた「心の救済(許されることで罪悪感を減らすこと)」を完璧に封殺するものでした。相手に怒られれば「怒られた」ことで罪を償った気になれますが、冷淡に軽蔑された場合、自らの犯した卑劣さの重荷を生涯ひとりで背負い続けなければなりません。
読者がエーミールに覚える苛立ちは、被害者の冷酷さに対する憤りというよりも、自分自身の内面にある「弱さや狡さ」をエーミールのような清廉潔白な正論の刃で容赦なく切り裂かれたときの、居心地の悪さや恐怖の裏返しであると言えます。