ジャンヌ・ダルク最期の言葉の真相|火刑台で叫んだ名前と処刑の真実
ジャンヌ・ダルク最期の言葉の真相|火刑台で叫んだ名前と処刑の真実の基本情報から最新動向までをわかりやすく整理しました。
1431年5月30日の早朝、ルーアンのヴィエイ・マルシェ(旧市場)広場には、異端審問を主導したピエール・コーション司教やイングランド貴族、武装した兵士、そして約800人とも言われる民衆が詰めかけていました。中央に築かれた異様な高さの足場の中心で、頭に「異端者、再犯者、背教者、偶像崇拝者」と書かれた屈辱的な紙の冠(mitre)を被せられたジャンヌ・ダルクは、柱に固く縛り付けられていました。
ジャンヌダルク 処刑時の年齢は、わずか19歳。少女の身体を包む炎が足元から燃え広がったとき、彼女の口から零れ落ちたのは呪詛でも命乞いでもありませんでした。処刑台の周囲にいた修道士や兵士たちの記録によると、彼女はただひたすらに、ひとつの「名前」を呼び続けていたのです。
「イエス! イエス! マリア様! ああ、イエス様!」
彼女が最期に発した言葉の真相は、自らの信仰の対象である「イエス(Jésus)」の御名でした。立ち込める煙で呼吸が遮られ、肌が焼き爛れる絶望的な苦痛のなか、ジャンヌは首を垂れて息を引き取る最後の瞬間まで、少なくとも6回以上、周囲に響き渡る声で「イエス」と叫び続けたと記録されています。
この凄惨な光景を目撃したルーアン修道院のドミニコ会修道士イザンバール・ド・ラ・ピエールは、後に開かれた復権裁判においてジャンヌダルク 十字架の証言として重要な記録を残しています。ジャンヌは火が放たれる直前、側にいた者に十字架を求めて激しく泣き崩れました。それを見たひとりのイギリス兵が、近くにあった棒の切れ端を折って小さな粗末な木の十字架を作り、彼女に手渡したのです。ジャンヌはその粗末な十字架を受け取ると、涙を流しながら抱きしめ、自らの胸元へと滑り込ませました。
さらに彼女は、イザンバール修道士に対し、教会から持ってきた大きな典礼用十字架を「炎の中でも見えるように、自分の目の前に高く掲げ続けてほしい」と懇願しました。炎が激しさを増し、熱風が吹き荒れるなかでも、ジャンヌの視線は掲げられた十字架の一点から微動だにしなかったと伝えられています。
彼女が偽りの予言者でも悪魔の手先でもなく、純粋な祈りのなかで息絶えていく姿は、敵であるはずのイングランド兵たちの心をも根底から破壊しました。イングランド王ヘンリー6世の秘書官であったジョン・ティフィンは、その場からよろめきながら立ち去り、次のように叫んで号泣したと公式記録に残されています。
「我々は破滅した! 我々は神に愛されたひとりの聖女を焼き殺してしまった!」