列島改造とは何だったのか?田中角栄の野望と狂乱物価の光と影
列島改造とは何だったのか?田中角栄の野望と狂乱物価の光と影の疑問点について、専門知識を基に徹底解説します。
現代のビジネスパーソンやネット言論において、「列島改造=狂乱物価を引き起こしたバラマキ政策」と短絡的に結論づけられるケースは少なくありません。しかし、経済史の専門家や当時の記録を丹念に掘り下げると、一般にはあまり知られていない事実が見えてきます。
最大の誤解は、「狂乱物価の主因が100%列島改造論にあった」とする見方です。当時の日本経済は、1971年8月のニクソン・ショック(米ドルの金兌換停止)を受け、急激な円高不況を恐れた日本銀行が異例の大規模金融緩和を継続していました。市場にはすでに過剰な流動性マネーが溢れ返っており、そこへ列島改造の号令がかかったため、資金が一気に土地へ雪崩れ込んだのです。
さらに、第4次中東戦争による原油供給制限と価格高騰という外的ショックが直撃しました。つまり、狂乱物価は「過剰流動性」「列島改造ブーム」「国際石油危機」という3つのトリガーが最悪のタイミングで連鎖した複合災害であり、単一の政策ミスのみに帰属させるのは歴史的事実に反します。
もう一つの盲点は、田中角栄自身が土地投機の危険性をあらかじめ認識し、法規制を同時に敷こうとしていた点です。田中は土地取引を許可制にする「国土開発法案」などの規制措置を構想していましたが、党内保守派や不動産業界、さらには私有財産権の侵害を警戒する世論の反発に遭い、法案の成立が遅れました。規制というブレーキを踏む前にアクセルだけが世間に伝わってしまったことが、悲劇を生む決定打となったのです。