明智光秀を倒した人は誰?秀吉の山崎の戦いと農民による最期の真相
明智光秀を倒した人は誰?秀吉の山崎の戦いと農民による最期の真相について徹底解説いたします。専門家の見解をお届けします。
戦場を脱出した光秀は、わずかな側近とともに暗夜に紛れて坂本城への退却を図りました。しかし、その逃走路となった山科・伏見近郊の「小栗栖の竹藪(おぐりすのたけやぶ)」で決定的な悲劇が起こります。
当時の農村地帯では、敗残兵から武具や金品を奪う「落ち武者狩り」が横行していました。竹藪に潜んでいた地元の土豪・中村長兵衛が、馬上の武者(光秀)の脇腹を竹槍で突き刺したと記録に残されています。致命傷を負った光秀はもはやこれまでと覚悟を決め、家臣の介錯によって自害。首は敵に渡らぬよう藪の中に埋められたと伝えられますが、後に秀吉軍に発見され、本能寺で晒し首となりました。名将のあまりに無残な最期は、現在も「明智藪」と呼ばれる場所に石碑として刻まれています。