新長田商店街の現在とシャッター通りの真相|鉄人28号と再開発の光影

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なぜ新長田の街並みは、これほどまでに激しい評価の分裂を生むことになったのでしょうか。その根本を紐解くには、阪神・淡路大震災直後に急ピッチで進められた復興事業の経緯と、都市計画の構造的な無理を直視しなければなりません。

長田区はかつてケミカルシューズ産業の集積地として栄え、木造住宅と町工場、個人商店が濃密に共生する「下町の連帯」が息づいていました。しかし、1995年の大震災によって発生した同時多発火災は、新長田駅南側の約20ヘクタールを一瞬にして焼き尽くしました。神戸市は壊滅的な打撃を受けたこの地を「防災拠点を兼ねた近代都市」へと再生させるべく、都市再開発法に基づく第一種市街地再開発事業を決定。巨大な耐火高層ビル群によって街全体を覆う青写真を描きました。

ところが、この事業手法が後に深刻な歪みを生むことになります。第一に「権利変換に伴う経済的負担」です。被災した商店主たちは、元の土地や店舗の権利を再開発ビルの「床(権利床)」に等価交換する形で入居しました。しかし、路面店舗時代には発生しなかった高額な共益費、管理費、空調維持費が毎月重くのしかかります。不況と郊外型大型ショッピングモールの台頭が重なり、客足が伸び悩む中で固定費を払い切れなくなった個人商店が次々と撤退を余儀なくされました。

第二に「空間構造と人の動線のミスマッチ」です。かつて路地を行き交う歩行者の視線によって成立していた商売を、縦型の多層階ビルや地下街に閉じ込めたことで、客足が極端に分断されました。都市社会学の視点から見れば、長田固有の「路地裏の雑多な温もりや偶発的な出会い」というコミュニティの文脈を無視し、ハコモノの容量だけを近代化した結果、店主と住民の心理的距離が開いてしまったと言わざるを得ません。巨額の公費が投入されながらも空き床が埋まらなかった事実は、行政主導の都市計画における手痛い教訓として全国に記憶されることになりました。

佐々木 一輝

佐々木 一輝

ビジネス戦略アナリスト

Webメディアでの編集・執筆歴10年。読者の好奇心を刺激するストーリー作りを心がけています。

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