ジャンヌ・ダルクとは何者か?なぜ19歳で処刑されたのか悲劇の真相を徹底解説
ジャンヌ・ダルクとは何者か?なぜ19歳で処刑されたのか悲劇の真相を徹底解説とはどんな影響があるのか? 主要なファクトを整理してお届けします。
オルレアンを解放し、シャルル7世の戴冠を成し遂げたジャンヌの運命は、1430年5月に暗転します。パリ近郊のコンピエーニュ包囲戦において、敵対するブルゴーニュ派の捕虜となってしまったのです。
ブルゴーニュ派はジャンヌの身柄をイングランド軍へ1万リーヴル・トゥルノワ(当時の国家予算級の莫大な身代金)で売却しました。ここで歴史の残酷な一面が露わになります。ジャンヌのおかげで王座に就いたシャルル7世は、彼女を救出するための身代金を支払うことも、軍を派遣することも一切しませんでした。戴冠を果たしたシャルル7世にとって、軍部内で影響力を持ちすぎ、外交路線で対立し始めていたジャンヌは「使い捨て可能な存在」になりつつあったのです。
1431年、イングランド占領下のルーアンで、ジャンヌに対する大規模な宗教裁判(異端審問)が開始されました。審問を主導したのは、イングランドに忠誠を誓うボーヴェ司教ピエール・コーションです。
この裁判の目的は最初から決まっていました。「シャルル7世は魔女・異端者の力によって王位に就いた偽りの王である」と証明し、フランス王室の正統性を根底から失墜させることです。裁判は手続き上数々の違法行為に満ちており、ジャンヌに弁護士は一切つけられず、連日にわたる過酷な尋問が行われました。
最終的にジャンヌの死因となった罪状は「異端の再犯」です。投獄中、獄吏からの性的暴行を防ぐために再び男装(ズボンと革紐による防護)をしたことが「男装を禁じた旧約聖書の教えに背く異端行為」とみなされ、死刑が宣告されました。
1431年5月30日、ルーアンの旧市場広場において、ジャンヌ・ダルクは高い足場の上に組まれた薪に縛り付けられ、生きたまま火刑に処されました。炎の中で彼女が最期に叫び続けた言葉は、「イエス、イエス」というキリストへの祈りでした。遺体は灰になるまで焼き尽くされ、信奉者が遺骨や遺品を聖遺物として崇拝することを恐れたイングランド軍によって、灰はすべてセーヌ川に流されました。