藤圭子の母・阿部竹代の波乱人生|盲目の三味線弾きと宇多田ヒカルの絆

藤圭子の母・阿部竹代の波乱人生|盲目の三味線弾きと宇多田ヒカルの絆の全体像を丁寧に掘り下げてご紹介します。

藤圭子の幼少期を語るうえで欠かせないのが、目が見えない母・竹代さんの手を引きながら夜の街を歩いたエピソードです。物心ついた頃から、圭子は母の「目」代わりとなって雪道を先導し、酒場や旅館の座敷へと案内していました。

やがて10歳前後になると、圭子自身も母の三味線に合わせて歌の合いの手を入れるようになり、その天性の美声と大人びた表現力で客を驚かせるようになります。客から投げ銭をもらうたび、母娘で手を取り合って喜んだ記憶は、後年になっても圭子の胸に深く刻まれていました。「母を楽にさせたい、温かい家に住まわせてあげたい」という強い想いが、彼女を過酷な芸能界へと突き動かす最大の原動力だったのです。

1969年に『新宿の女』で鮮烈なデビューを飾り、瞬く間にトップスターへと駆け上がった藤圭子は、最初の大きなギャラが入ると迷わず両親に家を贈り、仕送りを続けました。過酷な生い立ちを共にしたからこそ、母娘の間には言葉を超えた強固な連帯感と情愛が存在していました。

小林 直樹

小林 直樹

トレンドリサーチャー

シンプルで洗練された住まいづくりとインテリアコーディネートのアイデアを提案しています。

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