「ちいちゃんのかげおくり」教科書全文とあらすじ|涙の結末と真相
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小学生の頃に読んだときは「ちいちゃんが最後に天国で家族に会えてよかったのかな、でも死んじゃってかわいそう」という素直な感想を抱いた人が多いはずです。しかし、大人になってからちいちゃんのかげおくりの全文やあらすじと結末を読み返すと、小学生の頃には気づかなかった「残酷すぎる真相」が見えてきます。ここからは、物語の裏に隠された死因と悲しい理由、そして戦争の背景と真相を掘り下げます。
ちいちゃんの本当の死因は「空襲の火傷」ではなく「孤独な餓死・脱水死」
最も胸をえぐられる事実は、ちいちゃんの直接的な死因です。ちいちゃんは空襲の爆弾や炎に直接焼かれて亡くなったわけではありません。空襲の夜は生き延びたにもかかわらず、その後の焼け野原で「大人の保護を一切受けられないまま、約2日〜3日間にわたって放置されたことによる極度の栄養失調(飢餓)・脱水症状・熱中症および低体温症の併発による衰弱死」なのです。
第三場面の描写を大人の目で冷静に分析すると、その過酷さが浮き彫りになります。季節は「夏の初め」です。日中は遮るもののない黒い焼け跡で直射日光にさらされ、夜間は湿気と冷気がこもる地下の防空壕で震えて過ごしています。推定年齢4歳〜6歳(就学前後の幼児)のちいちゃんが口にできたのは、非常袋に入っていたわずかな「ほしいい(糒)」と水道管の漏れ水だけでした。幼児の体内水分量とエネルギー代謝を考えれば、高温多湿の環境下で48時間以上も絶食状態に置かれれば、低血糖と重度の脱水によって意識混濁(せん妄状態)に陥るのは医学的にも必然です。
「近所のおばさん」も「橋の下のおじさん」も悪人ではなかったという絶望
さらに大人を涙させる死因と悲しい理由が、周囲の大人たちの描写です。空襲の夜に橋の下まで抱えて逃げてくれた「おじさん」も、翌朝に家の場所を教えてくれた「おばさん」も、決して冷酷な人間ではありませんでした。むしろ、ちいちゃんに優しい言葉をかけています。
にもかかわらず、なぜ誰もその後のちいちゃんに食べ物を与えたり、連れて帰ったりしなかったのでしょうか。それこそが戦争の背景と真相です。1945年(昭和20年)の日本本土空襲では、一夜にして数十万人が家を失い、自身の家族や我が子の遺体を探すだけで精一杯という地獄絵図が広がっていました。自分の生活基盤すら完全に破壊された極限状態では、たとえ目の前に迷子の幼児がいたとしても、「きっと母親が迎えに来るはずだ」と自分に言い聞かせて立ち去るしかなかったのです。「悪人が一人も登場しないのに、社会全体の機能が崩壊したことで幼い命が誰にも看取られずに消えていく」という構造こそが、戦争の真の恐ろしさを物語っています。
作者・あまんきみこ氏の原体験と「母親と兄もあの夜に亡くなっていた」真相
第四場面のかげおくりで、なぜお父さんだけでなく、お母さんとお兄ちゃんまでが空に現れたのでしょうか。小学3年生の授業でも最大の議論になるこの場面の真相は、「お母さんとお兄ちゃんは、第二場面の空襲の夜にすでに焼死(あるいは煙に巻かれて窒息死)していた」ということです。足を怪我したお兄ちゃんを見捨ててお母さんが一人で逃げるはずはなく、ちいちゃんと引き離された直後、二人は猛火に飲み込まれたと読み解くのが自然です。
作者のあまんきみこ氏は、1931年に旧満州(現・中国東北部)の撫順で生まれ、1945年8月の終戦を14歳で迎えました。当時の特番インタビューやエッセイ・手記で語られた「戦争中、親とはぐれて道端にうずくまっていた小さな子どもの姿が、大人になってもずっとまぶたの裏から離れなかった」という生の告白は、この作品が単なるフィクションではないことを証明しています。また、あまん氏自身も幼い頃に弟を亡くすという深い喪失体験を抱えており、その痛切な記憶が、焼け跡に一人残されたちいちゃんの姿へと結晶化したのです。