中世を揺るがしたシチリアの晩鐘とは?暴動の全貌とマフィアの真相
中世を揺るがしたシチリアの晩鐘とは?暴動の全貌とマフィアの真相とはどんな影響があるのか? 背景や要点を整理してお届けします。
偶発的な一事件が島全体を巻き込む大反乱へと発展した背景には、長年にわたる過酷な支配体制への深い恨みがありました。当時シチリアを支配していたのは、フランス王ルイ9世の弟であるシャルル・ダンジュー(カルロ1世)です。
シチリア王国はそれまで、名君として名高い神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世(ホーエンシュタウフェン家)のもとで独自の多文化共生と繁栄を誇っていました。しかし、教皇庁の後押しを受けて王位を奪ったシャルル・ダンジューは、現地の伝統や慣習をことごとく無視した専制政治を敷きます。
シャルルは地中海全域の覇権を狙い、東ローマ帝国(ビザンツ帝国)遠征という途方もない軍事計画を推し進めていました。その莫大な戦費を賄うため、シチリアの民衆には耐え難い重税が課せられます。さらに、宮廷や統治機構をシチリア島内のパレルモから本土のナポリへと移転させたため、島民たちは経済的な困窮と政治的な冷遇という二重の屈辱を味わわされることになりました。鬱積した不満が臨界点に達していたからこそ、一人の兵士の狼藉が導火線となって大爆発を引き起こしたのです。