坂本龍馬の寺田屋事件とは?お龍の機転と奇跡の脱出劇の真相

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両手の腱を傷つけられ大量に出血する龍馬を支え、三吉慎蔵は寺田屋の裏手からの脱出を決断します。二人は2階裏手の屋根へと這い出し、隣家の屋根伝いに飛び降りて暗闇の伏見の町へと逃走しました。この寺田屋事件の脱出ルートは、当時の水路と町並みを巧みに利用した命がけの逃走劇でした。

追手が迫る中、二人は寺田屋のすぐ裏手を流れる濠川(ほりかわ)沿いを進み、大手橋付近にあった材木商の納屋(材木小屋)に身を潜めます。龍馬は出血多量によって極度の衰弱状態に陥り、一歩も動けない状態となっていました。ここで龍馬は三吉に対し、「自分はここに残るから、お前は単身で薩摩藩邸へ走り救援を頼んでくれ」と指示します。三吉は葛藤しながらも龍馬を材木小屋の木材の隙間に隠し、伏見薩摩藩邸(現在の京都市伏見区御花畠町)へと決死の疾走を見せました。

一方、寺田屋で危機を伝えた後、屋外へ抜け出していたお龍もまた、町中を走り抜けて伏見薩摩藩邸へと一足早く到達していました。お龍の知らせと三吉の報告を受けた薩摩藩邸は騒然となります。薩摩藩士・吉井幸輔や川原塚茂太郎らは即座に小舟を出し、濠川を遡って材木小屋を特定。夜明け前、息も絶え絶えになっていた龍馬を救出し、強固な防備を誇る薩摩藩邸内へと無事に収容しました。

この九死に一生を得た劇的な生還について、龍馬自身が故郷の土佐にいる姉・乙女へ送った慶応2年3月5日付の長文の手紙に克明に記されています。「両手の親指を深く切られ候えども、骨までは達せず」「三吉の働きは実に鬼神の如く」と振り返り、愛用のピストルを失った無念とともに、周囲の決死の連携によって命を拾った事実を率直に告白しています。

中村 さくら

中村 さくら

マネー&キャリアエディター

エンタメ・カルチャー業界の深掘り取材を得意とし、現場のリアルな声をお伝えします。

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