ビョルン・アンドレセンの現在と壮絶生涯|「世界一の美少年」逝去の真相
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『ベニスに死す』の熱狂は、海を越えた日本でさらに特異な現象へと発展しました。1971年に実現したビョルン・アンドレセンの「初来日」は、当時の熱狂的な少女たちやマスコミを巻き込んだ社会現象となります。
明治製菓(現・明治)のチョコレートCMへの出演、日本語によるシングルレコードのレコーディング、テレビ番組への連日の生出演など、映画俳優というよりは近代型「元祖・海外アイドル」として徹底的に売り出されました。しかし現場の内情は過酷そのものであり、過密日程をこなさせるためにスタッフから精神安定剤を常用させられていたという驚愕の事実も、後年のドキュメンタリーで本人の口から明かされています。
一方で、この来日狂騒曲は日本のポップカルチャー、とりわけ少女漫画史に計り知れない金字塔を打ち立てました。漫画家・池田理代子氏が手掛けた不朽の名作『ベルサイユのばら』の主人公、オスカル・フランソワ・ド・ジャルジェのビジュアルモデルとなった人物こそが、まさにビョルン・アンドレセンその人だったのです。
金髪をなびかせ、憂いを帯びた瞳と凛とした佇まいを持つアンドレセンの中性的な美貌は、それまでの少女漫画における男性像・ヒロイン像を根本から塗り替えました。竹宮惠子氏や萩尾望都氏ら「花の24年組」をはじめとする漫画家たちにも多大なインスピレーションを与え、日本の「美少年」「BL(ボーイズラブ)」カルチャーの原風景を形作る決定的契機となったことは間違いありません。