【武相荘】白洲次郎・正子邸の魅力とは?意外な由来や絶品ランチを徹底解説
【武相荘】白洲次郎・正子邸の魅力とは?意外な由来や絶品ランチを徹底解説とはどのようなものなのか? 詳しい意味を整理してお届けします。
初めてその名を聞いた人の多くが「無愛想(ぶあいそう)」を連想する「武相荘」。このユニークな名称は、単なる語呂合わせではなく、白洲次郎ならではのエスプリと当時の社会情勢が色濃く反映されたものです。
昭和17年(1942年)、太平洋戦争の戦局悪化と食糧難を予見した白洲次郎は、知人の紹介で当時の東京府南多摩郡鶴川村(現・東京都町田市能ヶ谷)にあった茅葺き屋根の農家を購入しました。この地はかつての令制国における「武蔵国」と「相模国」の国境に位置していました。「武」と「相」の境界にある山荘という意味合いに、自身のぶっきらぼうで妥協を許さない性格を表す「無愛想」を重ね合わせ、次郎自ら「武相荘」と名付けたのです。
当時の特番インタビューや残された手記によれば、次郎はこの地で自ら鍬を振るい、農業に励みながら戦後の国家再建を見据えていました。英国仕込みのカントリージェントルマンの精神を重んじた次郎にとって、都会の喧騒から離れたこの住まいは、単なる疎開先ではなく「生き方の原理原則(プリンシプル)」を実践する聖域でした。妻の正子もまた、自然豊かな鶴川の暮らしの中で骨董や工芸、日本の古典文学への思索を深め、数々の名著を生み出す原動力を得ていきました。