菅義偉氏の弔辞が呼んだ涙の真相|山県有朋の歌と知られざる執筆秘話
菅義偉氏の弔辞が呼んだ涙の真相|山県有朋の歌と知られざる執筆秘話の基本情報から最新動向までを一挙に解説しました。
多くの人々に感銘を与えた、菅義偉氏による友人代表の追悼の辞。その歴史的な全文をここに記録します。
7月の8日でした。信じられない一報を耳にし、とにかく一命をとりとめてほしい。その一心で、現場へ向かいました。救急車が着いたと聞くや、病院へと駆けつけました。祈るような思いで、処置室へと入りました。しかし、祈りは届きませんでした。
無念です。悔しくてなりません。
安倍総理、あなたが逝去されてから、2カ月半が経ちました。蝉の鳴く声はいつしかやみ、季節は秋へと移ろってまいります。しかし、日本武道館の周りにも、全国各地にも、あなたの死を悼む多くの人々が、今なお花を携えて訪れておられます。
あなたがどれほど多くの人々に愛され、慕われていたかを、改めて痛感しています。
思えば、総理と私の出会いは、昭和の終わり、あるいは平成の初めだったでしょうか。私にとって、あなたは常に輝いて見える存在でした。第1次政権を終えられた後、不遇の時期にあっても、私はあなたの再登板を信じて疑いませんでした。
2012年、総裁選への出馬を躊躇しておられたあなたを、私は銀座の焼鳥屋で、何時間もかけて口説き続けました。「日本には、あなたが必要です」。あの時、私の言葉を受け入れてくださった。そのことを、私はただの一度も後悔したことはありません。
総理、あなたはいつも、国のために命を削っておられました。内政においても、外交においても、日本を前に進めるために、批判を恐れず、決断を下してこられました。普天間飛行場の移設、集団的自衛権の行使容認、消費税率の引き上げ――どれも困難な課題ばかりでしたが、あなたは逃げませんでした。
あなたが示した強いリーダーシップがあったからこそ、日本は世界の真ん中で輝くことができました。
官房長官として、総理の隣で過ごした7年8カ月。毎日、朝から晩まで、私たちは同じ景色を見つめ、苦楽を共にしてまいりました。辛い時も、厳しい局面でも、あなたが弱音を吐く姿を、私は一度として見たことがありません。
総理、あなたの判断は、いつも正しかった。
ここに、一冊の本があります。山県有朋について書かれた本です。私が本屋で見つけ、かつてページを折っていた一節があります。明治の世にあって、盟友・桂太郎を亡くした山県有朋が、残された悲しみを詠んだ歌です。
「かたりあひて 尽しゝ人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ」
いま、私の心にあるのは、まさにこの思いです。総理、あなたという存在を失い、これから残された私たちは、どうやってこの世を生きていけばよいのでしょうか。
しかし、私たちは立ち止まるわけにはいきません。あなたが愛したこの日本を、より良き国にするために、私たちはあなたの志を継ぎ、前へ進んでまいります。
安倍総理、本当に、ありがとうございました。どうか安らかにお眠りください。
令和4年9月27日
友人代表 菅義偉