明智光秀の城跡で話題!京北周山町が移住・観光で選ばれる3つの真相

明智光秀の城跡で話題!京北周山町が移住・観光で選ばれる3つの真相にまつわる最新トピックを分かりやすく発信ます。

京都市右京区京北周山町の歴史的アイデンティティを語る上で欠かせないのが、織田信長の命を受けて丹波平定を進めた明智光秀の足跡です。天正7年(1579年)、光秀はこの交通・軍事の要衝に、丹波統治の拠点として「周山城」を築城しました。東西約1kmに及ぶ尾根筋に総石垣を用いて築かれたこの城郭は、安土城に匹敵する威容を誇る西日本屈指の本格的山城でした。

本能寺の変の後、山崎の戦いで光秀が討たれると、周山城は徹底的な破城(城を破却すること)に遭い、歴史の表舞台から忽然と姿を消しました。長年「幻の城」と語り継がれてきましたが、近年の発掘調査や山林整備により、苔むした崩落石垣や壮大な天守台跡が明瞭な姿を現し、中世城郭研究者や歴史ファンの間で再評価が進んでいます。

さらに周山町の信仰と歴史を象徴するのが、曹洞宗の古刹「慈眼寺(じげんじ)」に伝わる「黒塗り光秀像」です。「逆賊」「謀反人」の汚名を着せられた光秀の木像を、当時の旧周山村の領民たちは密かに寺へ運び込み、墨で全身を黒く塗りつぶすことで釈迦如来像に見せかけ、幕府や為政者の厳しい探索から命がけで守り抜きました。治水事業や税免除など善政を敷いた光秀を慕い続けた領民の深い敬愛が、この漆黒の木像に今なお刻まれています。

佐々木 一輝

佐々木 一輝

ビジネス戦略アナリスト

Webメディアでの編集・執筆歴10年。読者の好奇心を刺激するストーリー作りを心がけています。

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