右の頬を打たれたらの真相!弱者の我慢ではなく聖書が教える知的反撃
右の頬を打たれたらの真相!弱者の我慢ではなく聖書が教える知的反撃の主要なニュースをコンパクトにまとめました。全体像を一目で把握できます。
この解釈が牽強付会ではない決定的な証拠は、右の頬を打たれたら続きに記された2つのエピソードにあります。マタイによる福音書5章40節から41節には、頬の記述に続いて次のように記されています。
「あなたを訴えて下着を取ろうとする者には、上着をも取らせなさい」
「もし、だれかがあなたに強いて一ミリオン(約1.5km)を行かせようとするなら、その人と共に二ミリオン行きなさい」
これらもまた、現代の感覚では不可解な過剰要求への屈服に見えますが、当時の法律と照らし合わせると戦術的な意図が鮮明になります。
まず「下着と上着」のケースです。当時のユダヤ社会の律法(出エジプト記22章26-27節)では、貧民から質草として上着を取ることは厳格に制限されており、夜間の防寒具となる上着は日没前に返却しなければなりませんでした。貧困ゆえに法廷で下着まで差し押さえられそうになった債務者が、自ら上着まで脱ぎ捨てればどうなるか。法廷の面前で完全に全裸になります。古代ユダヤにおいて、裸体を見ることや晒すことは激しい宗教的恥辱とされ、恥を受けるのは脱いだ本人ではなく、貧者をそこまで追い詰めた強欲な債権者と裁判官でした。貪欲な搾取者を衆人環視の中で告発するプロテストだったのです。
次に「一マイルと二マイル」の規定です。占領軍であるローマ兵には「徴発権(アンガリア)」があり、現地の住民に対して軍用荷物を強制的に1マイル(約1.47km)運ばせる権限が法的に認められていました。しかし、過度な搾取による現地民の暴動を防ぐため、ローマの軍法規において「1マイルを超える強制使役」は厳罰の対象となっていました。もし民間人が笑顔で自発的に荷物を抱え、2マイル目まで歩き続ければ、今度は軍法違反を恐れたローマ兵が「頼むから荷物を返してくれ」と懇願する立場に逆転します。
これら3つの事例はいずれも、暴力で打ち負かすのではなく、法律や慣習の裏をかいて加害者側の不正義を白日の下に晒す非暴力不服従の精神で貫かれています。