竪穴住居は平安まで存在?教科書で変わった真相と驚きの住み心地
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一般向けの歴史概説では「縄文・弥生=竪穴住居、古墳時代=豪族の館、奈良・平安=貴族の寝殿造」といった単純化された図式で語られがちです。そのため、多くの人が「大和政権が成立し都が整備された時代には、竪穴住居など消え去っていた」と思い込んでいます。
しかし、各地の埋蔵文化財センターによる発掘調査報告書を紐解くと、事実はまったく異なります。西日本に比べて冬の寒さが厳しい東日本や東北地方では、平安時代に至るまで竪穴住居が庶民の日常的な住居として圧倒的多数を占めていました。貴族たちが平城京や平安京で瓦葺きや板敷きの壮麗な邸宅に暮らしていた時代、地方の農民たちは依然として地面を掘り窪めた竪穴の空間で厳しい寒さを防いでいたのです。
なぜこれほど長期間にわたって竪穴構造が維持されたのでしょうか。最大の理由は、地中熱を活かした優れた断熱性と、建築コストの低さにありました。地面を50cmから1mほど掘り下げるだけで、土壁が天然の断熱材となり、外気温が氷点下に達する冬期でも室内の熱が外へ逃げません。釘や高価な製材技術を一切必要とせず、山野から調達できる木材・ツル植物・茅(カヤ)だけで短期間に組み立てられる竪穴は、庶民にとって極めて合理的で持続可能な住まいだったのです。さらに北海道や東北の北方文化圏(擦文文化など)に目を向ければ、鎌倉時代から室町時代初頭に至るまで、竪穴を基本とする住居様式が機能性を発揮し続けていました。