岡田准一と元気が出るテレビの真相|母の応募と異例デビューの全内幕
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当時のジャニーズ事務所において、オーディションに合格したレッスン生(ジャニーズJr.)は、先輩グループのバックダンサーを務めながら数年間の下積みを経験するのが通例でした。長い者では5年〜8年以上の下積みを経てようやくCDデビューに漕ぎ着けるのが一般的な業界構造でした。
しかし岡田准一の場合、1995年夏の「ジャニーズ予備校」合格から、同年11月1日のV6デビューシングル『MUSIC FOR THE PEOPLE』(バレーボールワールドカップ1995公式イメージソング)発売まで、わずか約3ヶ月しかありませんでした。
当時、事務所内では「秋にバレーボールのワールドカップに合わせた新グループを立ち上げる」という一大プロジェクトが進行していました。年長組の「20th Century(トニセン)」である坂本昌行、長野博、井ノ原快彦と、年少組の「Coming Century(カミセン)」である森田剛、三宅健はすでに確定していたものの、カミセンの最後の1枠の選定が難航していました。
そこでジャニー喜多川氏が白羽の矢を立てたのが、オーディションで強烈な存在感を放っていた岡田准一でした。大阪から上京したばかりでダンス経験も歌唱レッスンもほぼゼロだった岡田に対し、ジャニー氏は「You、バレーボールできる?」と声をかけ、そのままグループへの合流を即断したという逸話はファンの間でも語り草となっています。