広島原爆時刻はなぜ午前8時15分だったのか?選ばれた理由と真相

広島原爆時刻はなぜ午前8時15分だったのか?選ばれた理由と真相の具体的な内容に迫る! わかりやすい言葉でまとめました。

原子爆弾を搭載したB-29爆撃機「エノラ・ゲイ」(機長:ポール・ティベッツ大佐)は、極秘任務を帯びて単機で広島を目指したわけではありません。作戦は計7機の編隊で構築されていました。まず気象観測機3機が先行し、それぞれ第1目標の広島、第2目標の小倉、第3目標の長崎の上空へ向かいました。エノラ・ゲイ号の後方には、爆発威力測定器を積んだ「グレート・アーティスト号」と、写真撮影・記録を担当する「ナンバー91(後のネセサリーズ・キャリー号)」が随伴していました。

エノラ・ゲイ号の飛行ルートは、テニアン島を離陸後、硫黄島を経由して四国南西沖へ北上。そこから愛媛県松山上空を抜け、瀬戸内海を渡って広島市街地へと侵入しました。午前7時9分、広島には敵機接近による警戒警報が発令されましたが、気象観測機1機が飛び去ったことで午前7時31分に警報は解除されます。当時の日本軍や市民は「少数の敵機は単なる偵察」と認識し、緊張を緩めて通常の朝の活動を再開してしまいました。この警報解除のわずか40分後に、エノラ・ゲイ号が高度約9,600メートルから侵入したのです。

投下目標地点(アイミング・ポイント)として指定されたのは、広島市中心部を流れる太田川が本川と元安川に分岐する地点に架かる「相生橋(あいおいばし)」でした。なぜ相生橋が選ばれたのか。その理由は、上空から視認した際の極めて特徴的な形状にあります。相生橋は北側の本川橋梁と直交する連絡橋が接続した特殊な「T字型」をしており、高度1万メートル近い上空の爆撃照準器(ノルデン照準器)から覗き込んだ際、市街地の中で最も判別しやすいランドマークだったためです。

午前8時15分17秒、ウラン型原子爆弾「リトルボーイ」が機体から切り離されました。投下直後、エノラ・ゲイ号は衝撃波から逃れるため155度の急旋回と急降下を開始。投下から約43秒の自由落下の後、リトルボーイは相生橋から南東へ約300メートル逸れた「島病院(現・島内科医院)」の上空約600メートル(高度約580メートル)で核分裂反応を起こし、空中で炸裂しました。地上ではなく上空約600メートルで爆発させたのは、爆風と熱線の効果範囲を地表全体へ最大限に拡散・到達させるための精密な物理的計算に基づく設計でした。

佐藤 大輔

佐藤 大輔

シニアコンテンツプロデューサー

最新のテクノロジーと生活デザインの融合をテーマに、国内外の最新トピックを発信しています。

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