なぜ掛け算を九九と呼ぶのか?九九八十一の由来と古代の真相を解明
なぜ掛け算を九九と呼ぶのか?九九八十一の由来と古代の真相を解明に関する知りたいポイントを徹底的にまとめました。要点を確実におさえることができます。
中国で生まれた九九は、やがて古代日本へと伝来する。「九九 歴史 日本」の足跡をたどると、単なる輸入にとどまらず、日本独自の文化や言語遊戯へと昇華していった軌跡が浮かび上がる。
1990年代以降、奈良県の藤原京跡や平城宮跡から、8世紀初頭(奈良時代)の役人が使用していたと見られる九九木簡が相次いで発掘された。当時の朝廷には律令制に基づく「大学寮」が置かれ、その中に数理の専門官を育成する「算道(さんどう)」という学科が存在した。官人たちは租税である米や布の計算、土木工事の資材管理、暦の作成のために九九を必携の知識としていた。
驚くべきは、当時の日本貴族たちが九九を暗号めいた「言葉遊び」に用いていた事実だ。『万葉集』の歌には、漢字の音訓ではなく掛け算の積を当て字にした「戯訓(ぎくん)」が頻繁に登場する。
- 「若草乃 乃乃(十六=しし)之毛」(巻十一・2542番)…「四四(しし)十六」の語呂から「しし」と読ませる。
- 「八十一(くく)鳴く……」…「九九(くく)八十一」の逆連想から「八十一」と書いて「くく」と読ませる。
当時、九九を暗誦できることは知的エリート階層の証であり、それを和歌に織り交ぜること自体が極めて洗練された知的情熱の表現であった。平安時代中期の貴族の子弟向け教科書『口遊(くちずさみ)』(源為憲編、970年)にも九九が収録されているが、ここでも冒頭は「九九八十一」から始まっている。
では、現代のように「1の段」から順に唱える形式へ移行したのはいつなのか。その画期となったのは、江戸時代の和算の発展と、寺子屋による庶民教育の普及である。吉田光由が著した大ベストセラー数学書『塵劫記(じんこうき)』(1627年)の普及に伴い、子どもや庶民が直感的に理解しやすい「いんいちがいち」からの昇順方式が徐々に主流を占めるようになった。明治時代の近代教育制度(学制)の発布によってこの順序が標準化され、現在に至る学習体系が完成したのである。