太陽暦と太陰暦の違いとは?旧暦廃止の真相と閏月の仕組みを徹底解剖

太陽暦と太陰暦の違いとは?旧暦廃止の真相と閏月の仕組みを徹底解剖について徹底解説いたします。専門家の見解をご確認ください。

今日でも歴史研究者や経済史ファンの間で議論が絶えないのが、明治改暦の真相と経緯です。日本における新暦(グレゴリオ暦)への移行は、現代のデジタル移行など足元にも及ばないほどの電撃的、かつ強引なトップダウンで強行されました。

発端は明治5年(1872年)11月9日に突如発令された太政官布告第337号です。そこには「明治5年12月2日をもって旧暦を打ち切り、その翌日を『明治6年1月1日』とする」と記されていました。国民に与えられた猶予はわずか23日間。翌日から年号が変わるどころか、1カ月近くの日付が突如消滅し、年越し準備に追われていた庶民や商家は大パニックに陥りました。

政府が掲げた表向きの理由は「旧暦は天体の真理に合致せず、不合理である。欧米先進国と足並みを揃え、不平等条約の改正に向けた文明国としての体裁を整える」という近代化の理念でした。しかし、国立公文書館に残る財務記録や当時の為政者たちの証言を丹念に紐解くと、そこには極めて切迫した「政府の金欠問題」が浮かび上がってきます。

当時、発足間もない明治政府は深刻な財政破綻の危機に瀕していました。前年の廃藩置県によって旧藩主や旧武士団の莫大な家禄(給与)を引き受けることになり、歳出が歳入を大幅に超過していたのです。さらに、政府は官公吏(役人)の給与体系を従来の年俸制から月給制へと切り替えたばかりでした。

ここで問題となったのが、目前に迫っていた「明治6年(1873年)」のカレンダーでした。旧暦の計算ルールに従うと、明治6年には「閏6月」が発生し、1年が13カ月存在する年になる予定だったのです。月給制を採用している以上、政府は役人に対して「年13回」給料を支払わなければなりません。財源が底をつきかけていた政府にとって、丸々1カ月分の人件費追加は国家予算の破綻を意味していました。

もし太陽暦に切り替えてしまえば、1年は常に12カ月となり、13回目の給料を支払う必要はなくなります。しかも、明治5年12月はわずか2日で終了するため、明治5年12月分の給与も支払わずに済むという計算が成り立ちました。政府は「12月給与の踏み倒し」と「翌年の13カ月給与の回避」という一石二鳥の財政削減を狙って改暦を断行したのです。大蔵大輔として財政の舵取りを担っていた大隈重信は、後年の回想録『大隈伯昔日譚』の中で、この改暦がいかに緊迫した財政的奇策であったかを自ら率直に語り残しています。

この大混乱を救ったのが、思想家・福澤諭吉でした。福澤は太陽暦の合理性と計算方法を解説した『改暦弁』をわずか数日で執筆・出版。当時の特番インタビューや手記に匹敵する生々しい記録によれば、「これほど分かりやすい本はない」と飛ぶように売れ、瞬く間に10万部を超える大ベストセラーを記録しました。福澤の明快な解説によって、庶民は政府の詐欺的な手法に憤りつつも、新しい暦の利便性を受け入れていったのです。

伊藤 翔太

伊藤 翔太

フード&トラベルライター

マネー知識やキャリア形成に役立つノウハウを、初心者にも分かりやすく解説するのが得意です。

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