波の下にも都がございますの意味とは|二位尼と安徳天皇の最期と真相

今注目を集めている 波の下にも都がございますの意味とは|二位尼と安徳天皇の最期と真相について、多角的な視点をご紹介しています。

平清盛が築き上げた栄華は、なぜ壇ノ浦の海に消え去ることになったのでしょうか。治承5年(1181年)に総帥・平清盛が高熱を発して急死した後、平家は求心力を急速に失いました。木曾義仲による京都侵攻を受けて都落ちを余儀なくされ、その後の一ノ谷の戦い、屋島の戦いで源義経の機略に翻弄され続けます。

壇ノ浦の合戦当日の戦況推移には、決定的な転換点が存在しました。

序盤、水軍の扱いに長けた平家軍は、関門海峡の強い潮流を味方につけて優位に戦いを進めていました。しかし、正午前後を境に潮の流れが反転したこと、さらに平家側の武将・阿波民部重能の裏切りによって、本陣である御所船の位置が源氏方に露呈します。

源義経軍は当時の戦の不文律であった「漕ぎ手(水手・梶取)」を弓矢で射倒す戦法を取り、平家の船団は航行不能に陥りました。敗戦を悟った平知盛(清盛の四男)が「もはやこれまで。見苦しいものは海へ投げ捨てよ」と告げると、一門の武将や公達、女官たちは次々と海へ身を投げ、栄華を極めた平家一門は海上で滅亡を迎えました。

橋本 菜々子

橋本 菜々子

トレンドリサーチャー

グルメと旅を愛するフリーライター。全国各地の隠れた魅力を独自の視点から紹介します。

Share this article
Twitter Facebook Pinterest