東大隣接の根津遊郭はなぜ消えた?洲崎移転の真相と街に残る痕跡
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根津の地に歓楽の灯がともった起源は、江戸時代に遡ります。根津神社の門前町として栄えたこの地には、神社参詣客をもてなす茶屋が集まり、次第に「岡場所」と呼ばれる非公認の色町へと発展していきました。江戸幕府の厳しい取り締まりと黙認の狭間で揺れ動きながらも、幕末まで庶民や武士の隠れ家的な盛り場として根強い人気を誇っていたのです。
明治維新を迎えると、新政府の都市整備方針と公娼制度の再編に伴い、明治元(1868)年に官許の遊郭として正式に指定を受けます。整備された土地は「根津八重垣町(ねづやえがきちょう)」と名付けられ、現在の文京区根津一丁目に広大な遊郭街が誕生しました。
吉原遊郭に次ぐ規模を誇った根津遊郭には、大門が構えられ、整然とした区画に数十軒もの妓楼(貸座敷)が立ち並びました。夜ともなれば無数の提灯が灯り、三味線の音と艶やかな芸妓・遊女の行き交う声が響き渡る、東京でも指折りの不夜城となったのです。