5代目三遊亭圓楽の真実|笑点司会と若竹借金の真相・弟子が語る伝説

5代目三遊亭圓楽の真実|笑点司会と若竹借金の真相・弟子が語る伝説の見逃せないポイントを一挙に解説しました。

1978年に勃発した「落語協会分裂騒動」において、師匠・6代目圓生と行動を共にした圓楽は、落語協会を脱退。圓生没後は自らが旗頭となり、1980年に「大日本落語すみれ会(後の円楽一門会)」を旗揚げしました。しかし、既存の定席寄席(鈴本演芸場、新宿末廣亭、浅草演芸ホール、池袋演芸場)への出演機会を失った弟子たちの育成環境は極めて厳しいものでした。

「弟子が高座に上がる場所がないなら、自分で作ればいい」――その強い責任感から、1985年に東京都江東区東陽に私財を投じて寄席「若竹」をオープンさせます。総工費はおよそ5億円に達し、莫大な銀行借入金を背負う決断でした。

しかし、バブル経済の進行に伴う地価・維持管理費の高騰や立地条件の課題が重なり、経営は難航。わずか4年後の1989年に閉館を余儀なくされます。残された数億円規模の借金に対し、圓楽は一切の自己破産や責任転嫁を行わず、年間100本を超える全国独演会とテレビ出演を精力的にこなし、自らの力で完済へと導きました。当時の関係者は「毎月何百万円もの返済を抱えながら、高座では一切辛い顔を見せず、弟子たちには小遣いを与え続けていた」と証言しています。

高橋 健太

高橋 健太

ライフスタイル編集者

Webメディアでの編集・執筆歴10年。読者の好奇心を刺激するストーリー作りを心がけています。

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