火垂るの墓「西宮のおばさん」は悪者か?正論と時代の真相

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西宮のおばさんとの関係破綻を語る上で、もう一方の当事者である清太の行動動機と内面を掘り下げる必要があります。なぜ清太は、おばさんに頭を下げて勤労動員に行ったり、防空活動に加わったりしなかったのでしょうか。

清太は、大日本帝国海軍の上級将校(巡洋艦の艦長クラス、海軍大佐)の長男として、恵まれた環境で育ったいわゆる「お坊ちゃん」でした。当時の日本において軍高官の家庭は特権階級に近く、一般的な庶民とは生活様式もプライドの所在も大きく異なっていました。清太にとって、「連合艦隊の立派な父」と「上品で美しい母」の存在は自己同一性のすべてであり、突然の空襲によって母を亡くし、連絡が途絶えた父の安否に怯える中で、そのプライドだけが自活の支柱となっていました。

14歳という年齢は、現在の中学2年生から3年生に相当します。当時の旧制中学校に通う男子であれば、学徒勤労動員として工場で働くか、近隣の消火・防空活動で青年団として動くのが当然の義務とされていました。しかし清太は、慣れない西宮の町で地域社会に溶け込むことを恐れ、幼い節子の面倒を見るという名目のもとで、自ら「社会との関係を遮断」してしまいました。

家族社会学の視点から見れば、清太とおばさんの間には健全な「心理的バウンダリー(境界線)」が引かれていませんでした。おばさんは清太を「一人の半人前の労働力」として共同体の義務を果たさせようとし、清太はおばさんを「母の代わりとなって無条件に自分たちを庇護してくれる存在」と無意識に期待していました。この役割期待の致命的なズレが、日々の些細な言葉の棘を致命傷へと変えていったのです。

山口 彩花

山口 彩花

写真家・フォトエディター

グルメと旅を愛するフリーライター。全国各地の隠れた魅力を独自の視点から紹介します。

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