なぜ新幹線駅じゃない?本八戸駅の真実と2026年最新アクセス攻略
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全国各地の新幹線駅を訪れた際、駅前が広大なロータリーとビジネスホテルのみで構成され、真の繁華街へ行くには乗り換えが必要となるケースが散見されます。八戸市はその典型例であり、歴史的背景を紐解くと「なぜ本八戸駅という名が残されたのか」の必然性が見えてきます。
日本鉄道が1891(明治24)年に現在の東北本線(現・青い森鉄道)を開業させた際、現在の八戸駅の位置に設置された駅名は「尻内(しりのうち)駅」でした。当時の八戸城下町であった中心集落から西へ遠く離れた場所に敷設された理由は、山間部を最短で結ぶ鉄道敷設ルート選定上の制約と、蒸気機関車の煙や振動を避けるための判断が重なったためと記録されています。その後、1894年に尻内駅から分岐して城下の中心部に乗り入れた支線の駅こそが、初代の「八戸駅」でした。
大きな転換点は1971(昭和46)年に訪れます。将来の東北新幹線計画を見据え、幹線上の分岐駅であった尻内駅を「八戸駅」へと改称。これに伴い、元祖・八戸駅側が「本八戸駅」と名を改めることになりました。鉄道行政上の都合によって新幹線の玄関口は八戸駅となりましたが、八戸市庁、八戸公会堂、三日町・十三日町といった中心商店街、そして全国に知られる「みろく横丁」に至る都市機能は、現在に至るまで本八戸駅を起点とするエリアに根強く残っています。