モネ『日傘をさす女』なぜ顔がない?3部作の真相と妻への愛を解説

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『日傘をさす女』という画題を聞いて多くの人が最初に思い浮かべるのは、緑の草原の上で日傘を差し、振り返るように立つ女性と、その傍らに小さく佇む少年の姿でしょう。この1875年に描かれた最初の作品(正式名称『散歩、日傘をさす女性』)のモデルとなったのは、モネの最初の妻カミーユ・ドンシューと、当時7歳だった長男のジャンです。

モネがカミーユと出会ったのは1865年頃、彼がまだ20代半ばの無名画家だった時代にさかのぼります。カミーユはモネの家族から結婚を猛反対され、日々のパンにも事欠く困窮生活を強いられながらも、モネの絵画モデルを務め、創作活動を献身的に支え続けました。1875年の作品に満ち溢れるきらびやかな初夏の陽光と心地よい風のそよぎは、貧しくも幸福だった家族の穏やかなひとときを永遠に封じ込めた奇跡的な記録でもあります。

しかし、この幸福は長くは続きませんでした。カミーユは次男の出産後に体調を崩し、結核または子宮がんを患って1879年にわずか32歳でこの世を去ります。モネは臨終を迎えた妻の顔色が青紫色へと刻一刻と変化していく様子すら、画家としての本能からカンバスに描き留めました。それが名作『死の床のカミーユ』です。この強烈な原体験は、モネの心に生涯消えない傷と悔恨を焼き付けました。

カミーユの死から11年が経過した1886年、モネはフランス・ジヴェルニーの草原で再び日傘をさす女性をモチーフにした作品を手掛けます。この時キャンバスの前に立ったのは、モネの支援者であり後に再婚相手となるアリス・オシュデの連れ子、当時18歳だった義理の娘シュザンヌ・オシュデでした。かつての妻と同じポーズを取らせ、同じ草原の光を追ったモネの胸中には、過去の記憶と新たな絵画的挑戦が複雑に交錯していました。

山口 彩花

山口 彩花

写真家・フォトエディター

グルメと旅を愛するフリーライター。全国各地の隠れた魅力を独自の視点から紹介します。

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