中曽根康弘の功罪と実像|国鉄民営化・ロンヤス外交から華麗なる家系図まで

中曽根康弘の功罪と実像|国鉄民営化・ロンヤス外交から華麗なる家系図までの概要と注目ポイントを一挙に解説しました。

中曽根康弘氏は1918年(大正7年)、群馬県高崎市の材木商の家に生まれました。東京帝国大学法学部を卒業後、内務省に入省。海軍主計士官として大東亜戦争に従軍した経験が、終生の国家観や安全保障観の原点となりました。戦後の1947年、旧群馬3区から28歳の若さで衆議院議員に初当選して政界入りを果たします。

「青年将校」と呼ばれた初期から、自主憲法制定や自主防衛を堂々と主張するタカ派として頭角を現しました。自民党内では中曽根派を率い、科学技術庁長官、防衛庁長官、通商産業大臣、幹事長といった要職を歴任。情勢に応じて巧みに立ち位置を変える姿から「風見鶏」と揶揄される時期もありましたが、1982年11月、田中角栄元首相率いる田中派(木曜クラブ)の強力な後押しを受けて第71代内閣総理大臣に就任します。

就任直後から打ち出したのが、官僚主導の合議制を打破する「大統領型首相」の政治手法です。民間有識者を結集した私的諮問機関を次々と立ち上げ、世論を直接味方につけて官僚機構や党内の抵抗勢力を突破していくスタイルは、後の小泉純一郎内閣や安倍晋三内閣の官邸主導政治の先駆けとなりました。

鈴木 陽菜

鈴木 陽菜

テックライター兼ウェブディレクター

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