三河仏壇が今なお選ばれる理由とは?八職の技と価格相場・修理の真相を徹底検証
三河仏壇が今なお選ばれる理由とは?八職の技と価格相場・修理の真相を徹底検証とはどんな影響があるのか? 詳しい意味を整理してお届けします。
三河仏壇の起源は、江戸時代中期の元禄から宝永年間(1704年頃)にまで遡ります。徳川家康の生誕地として知られる愛知県岡崎市は、古くから三河一向一揆に象徴される熱心な浄土真宗門徒の信仰基盤が存在し、矢作川の水運を活かした物資の集積地として繁栄していました。
江戸幕府の庇護のもとで多くの寺院が建立・修復された岡崎城下には、京都や大坂から腕利きの宮大工、木地師、彫刻師、漆塗師、箔押師などの職人が集まりました。矢作川上流の上質なヒノキやマツ、スギといった木材資源、三河湾沿岸の温暖湿潤な気候(漆の乾燥に適した環境)が揃ったことで、仏壇製造の一大産地が形成されたと記録されています。
明治から大正、昭和にかけて三河仏壇は急速に発展し、1976年(昭和51年)には仏壇仏具業界として全国で初めて「国の伝統的工芸品」に指定されました。現在も愛知県岡崎市を中心に、安城市、西尾市、豊田市などの三河地方で受け継がれ、国の厳格な検査基準を満たした製品には「伝統証紙」が貼付されています。