後醍醐天皇はなぜ隠岐へ流されたのか?島流しの真相と脱出劇の全貌
後醍醐天皇はなぜ隠岐へ流されたのか?島流しの真相と脱出劇の全貌について分かりやすく解説いたします。専門家の見解をお届けします。
後醍醐天皇の隠岐配流の期間は、1332年4月から1333年閏2月までの約1年間でした。本土から日本海を隔てた離島での生活は、京の華やかな宮廷暮らしとはあまりにもかけ離れた過酷なものでした。
天皇が滞在した隠岐の島における行在所の正確な場所については、現在も西ノ島の「黒木御所」説と、島前・島後各地の寺院(隠岐国分寺や碧風館など)説が存在し、議論が続いています。いずれの拠点であっても、隠岐守護である佐々木清高の厳しい監視下に置かれていたことは間違いありません。しかし、後醍醐天皇は絶望に沈むことなく、現地の監視役や豪族たちを巧みに人心掌握し、密かに本土の倒幕勢力と連絡を取り合いながら再起のシナリオを練り上げていました。