山一證券はなぜ潰れた?簿外債務の真相と元社員たちの今
山一證券はなぜ潰れた?簿外債務の真相と元社員たちの今に関する知りたいポイントを初心者にも親しみやすくまとめました。要点を確実におさえることができます。
山一證券の崩壊は、1997年秋の「金融危機ドミノ」の中で一気に加速しました。その緊迫の経緯を時系列で振り返ります。
▼ 山一證券 破綻と清算への年表
・1991年(平成3年):バブル崩壊。証券業界の損失補填問題が表面化。山一證券は水面下で「飛ばし」による損失隠蔽を開始。
・1997年8月:総会屋への利益供与事件で三木淳夫社長が辞任、野澤正平氏が代表取締役社長に急遽就任。
・1997年11月15日:三洋証券が会社更生法を申請、群司市場で初のデフォルトが発生。
・1997年11月17日:都市銀行の一角である北海道拓殖銀行(拓銀)が経営破綻。
・1997年11月20日:大蔵省(当時)へ約2,600億円の簿外債務を正式報告。格付け会社によるジャンク級への引き下げ。
・1997年11月24日:取締役会で自主廃業を決定。野澤社長による「涙の記者会見」。日本銀行が日銀特融(無担保貸出)の発動を決定。
・1998年6月:東京地方裁判所へ自己破産を申し立て。
・1999年6月:山一證券、登録取消処分を受け金融機関としての業務停止・法的消滅へ。
・2005年1月:清算手続きがすべて結了し、108年の歴史に完全な幕。
北海道拓殖銀行の破綻からわずか1週間後の山一證券の崩壊は、「大銀行や大手証券は絶対に潰れない」という日本の「護送船団方式」神話を完全に粉砕しました。海外メディアはこれを「ジャパン・プレミアム」の急拡大とともに大々的に報じ、世界的な金融市場の再編へと繋がっていきました。